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難しい時代です

 投稿者:kanrininn  投稿日:2017年10月26日(木)08時06分47秒
  職業選択の自由もなく、一般の人は教育を受ける機会も無かった時代には
自分の力には限界があることをよく分かっていたと思います。
戦後、努力すれば総理大臣にも社長にもなれるという教育の成果で
自分の力を過大評価し、努力すれば、どんなことでも欲望が叶えられると
幻想を抱いています。
老病死をはじめ四苦八苦までも、私の力で避けられ解決できると
思い込んでいます。そして、神や仏も、私が頼みにいく努力をすれば、
思いのままに欲望を叶えてくれると、錯覚しています。

しかし、学校教育と新聞・テレビだけの価値観、一般の人の価値観、
世間の価値観では、四苦八苦に出会ったとき、まったく役立たないことに
気づいて、苦しむものの、どう対処していいのか、その方法を知らず、
むなしい一生を終わっている人がほとんどなのでしょう。

どうも、私たちは何度も何度も、阿弥陀さまの願いを知らされ、お念仏を
勧められたのに振り向こうとせずに、自分の行いの結果で地獄へ餓鬼へと
生まれ、苦しみつづけ、今やっとまた人間に生まれてきたのに、今回も
教えに遇えず、自分の欲望を追い求めた一生を終わり、苦しみの世界に
逆戻りしておいでの方が多いようです。

浄土真宗は、お念仏の教え、仲間がいないとなかなか味わえない世界の
ようです。
仏法僧に帰依するという僧は、僧侶ではなく、念仏の仲間であろうと思います。
お参りの別院には、帰属するご門徒があるのかないのか、ほとんどの人が
自分の所属しているお寺があって、加えて別院においでなのか。

それぞれのお寺には、仏教婦人会とか仏教壮年会とか、青年会とかがあり、
そこに所属すると、想像以上にお念仏の人が多いことを感じるものです。

全員聞法、全員伝道というのが、浄土真宗の特長です。
僧侶だけではなく、お聴聞する全員が、南無阿弥陀仏を口に、教えを伝え
広めていくのがお念仏の教えの特長です。
しかし、世間の価値観だけの人には、なかなか聞こえない教えです。
でも、四苦八苦に気づかないよう、逃げようと努力しても、
いつか必ず出会うもの、その時ではもう遅いのですが、それに気づかずに
いる方が、大多数という現実、残念でしかたがありませんが、
せめて、貴方と私、お念仏に遇えたことを喜ばしていただきたいものです。
そして、一人でも仲間を増やし、喜びを共にしたいものです。

 

真宗と仏教

 投稿者:まみ  投稿日:2017年10月25日(水)08時41分36秒
  お返事を頂き有り難うございます。
「見て聞いて」も拝読させて頂きました。

>常識

確かに、「なぜ如来は本願を立てられたのか」や
「本願の中身やその働き」は、「世間の常識」からでは
出てきにくい(出てこない)ものでしょう。だから
「仏」が考え出されたことなのです。(なので賛嘆するのです)。

しかし「なぜ」かはわからなくても、

「如来は一切衆生に仏になって欲しいという願いをお持ちになっているのですよ」
「それに感嘆した人々が、(お念仏という形で)、その願い(のありか)を
遠い昔から時代と場所を越えて伝えてこられているのですよ」

ということは(いまの若い人や現代の人にも)
「理解されうる」ものではないでしょうか?

>仏教
仏教というものが、基本的には「様々な我欲や執着を離れる」という
方向性を持つものであることは、どの宗派の人も、また
「世間の人」も、それほど反対はしないでしょう。

ある都市の別院さんで法座があったのですが、そこではまさに
如来の本願のありか(一切衆生が仏になって欲しい、それが
我々に願われているのですよ)というお話がされていました。
お参りの方は10名ほどでしょうか。

その別院から目と鼻の先に、別な宗派の大きなお寺がありました。
そこには老若男女、大勢の人がひしめき合い、
「受験祈願」「交通安全祈願」「家内安全祈願」
とさまざまな祈願の催しやそのためのグッズや方法を求める人で
いっぱいでした。

しかし、(そのお寺だけではないですが)
そのような祈願やグッズなどは、むしろ
「自分の執着や欲を固定化し促進する」
方向に働いているのではないでしょうか?
いわば「仏教」とは、逆の方向性ではないでしょうか。

☆むろん真宗のお寺でお聴聞をしたからといって、当たり前ですがそれで
仏になるわけでも、仏になりたいという気持ちが沸き続けるわけでも
ありません。そんなものは死ぬまで一生、アカンでしょう。
しかし、それでも何回か「仏から願われていること」を聴いている
うちに、多少はマシ?になるかならないか、、でもそういう
「方向性がある」ことは(実現の方向に進むかどうかは別にして)
わかるでしょう。でも、「はじめから欲望や執着を促進する」お寺では、
それ自体がわかりません。どちらが仏教(の方向性)に沿いますか?
ということです。

このようなことやその違いを
「はっきりと」言われたのが、親鸞聖人ではないでしょうか?


>蓮如上人
むろん、今の世の中で、親鸞聖人のように
他宗派を含めた仏教全体のあり方についてまで
あれこれと言う必要はないかもしれません。

しかし、現状ではおそらく10年も立たないうちに、
お聴聞をされる方の数がどんどん減り、
別院ですら「定例」の法座を持つことは困難になる一方、
いわゆる祈願が主の寺はますます大繁盛、、、ということに
なるかもしれません。

蓮如上人の時代は、お念仏も勢いがありました。
「内に信心を秘めて」「世間とは仲良く」で良かったかも知れません。
そしてまあ、いまでのそうなのでしょうが、しかし
このままでは
「長い時を超えてきたお念仏の教え」は、「内に信心を秘め」たままで
終わってしまいかねません。

「信心獲得章」を書かれた蓮如上人に、今の時代はどうされるのか、
お伺いしたいところです。
 

常識を超えています

 投稿者:kanrininn  投稿日:2017年10月24日(火)23時21分48秒
  まみ様が仰るとおりです。真宗のご法話は、お仲間に対してお話する内容です。
次回の「見て聞いて」信心獲得章のご文章には、
この教えは、浄土真宗だけが説くものですから、他の宗派の人に対していうべきことでは
ありません。 十分心得るべきことです。・・・
とあります。
学校教育や新聞テレビの価値観では、とても理解出来ない、常識を超えた教えです。

いま、私は、世間の常識は、若くて健康で命のある間だけ通用する教え、お念仏だけは
四苦八苦でも通用する教えと、お話しています。
是非、また書き込みください。
 

法話について

 投稿者:まみ  投稿日:2017年10月22日(日)00時07分18秒
  以前、「お寺ツアー」で僧侶の方が(一般の観光客の方に)
説明されているものを横で聴かせて頂く機会がありました。
「阿弥陀如来は声となって現れる仏様なのですよ」
と仰っていました。むろん言われることは
わかるのですが、しかし、それはなかなか理解するのが難しいのでは
ないかなあ、と感じた次第です。
(特にふらっと観光で立ち寄ってこられた方に対して)

おそらくは真宗の法話になじみの方にとっては、

「(真宗の)お寺は(または親鸞聖人の教えは)
自分の願い事を言う場ではなく、仏様の願い事を聴かせて貰う
場なのですよ」

ということだけでも、もうびっくりだと思います。
他のお寺とかでは、「自分の願い事」を言う場や装置(絵馬や
それようのご祈祷など)があるのが普通で、テレビの「観光案内」では
「ご利益」を強調していますから。

「仏様の願いとは、全ての皆さんが仏様と等しい存在になって欲しい、
ということなのですよ(だから、いわゆる悪いことを行うひとこそ、
とりわけ仏と等しくなって欲しいと(仏様が)願っているのですよ)」

ということも、おそらく法話になじみのない方は、あまり
(少なくとも他の宗派やお寺では)聴いたことがないと思われます。
むろん、ご本山や別院などの法話では、何度も何度も聴かされている
ことではあるのですが、(その法座に来られる方の絶対数は少ないでしょう)。

また真宗のお寺でも、葬儀の際の法話では、こういうことは(少なくとも私は)
聴いたことがありません。それはたまたま、そのお寺では
そうなだけかもしれませんが(私の地域は真宗が盛んではないところです)
葬儀の際の法話は、御法義の話と言うよりはむしろ
「場合別に整理されたテンプレを回しているな~」と
感じることはあります。

ですので、法座に何度も来られてる方向けではなくて、
「ふらりと立ち寄ってこられた方」や、「葬儀の時に法話に参列される」
頻度の方に対しては、上記のような基本的なことを話されたら良いのに、、
と思うことはあります。それだけで、たぶんかなり聴かれる方は
驚かれると思います。

☆もちろん、私はそのツアーの一部しか小耳に挟んでいないので、
上記のようなことは当然、言っておられる、、とは思いますが。
 

一つの考えです

 投稿者:kannrininn  投稿日:2017年10月18日(水)15時30分31秒
  「蜘蛛の糸」、浄土真宗としては、どうとらえたらいいのか迷っていました。
大経の現代語訳と、蜘蛛の糸の後半を合体したものですが、
お釈迦さまが、大経をお説きになる前の話と受け取ると
納得がいくように思い二つを並べてみました。
ご感想お聞かせください。
 

蜘蛛の糸

 投稿者:kisida  投稿日:2017年10月17日(火)23時23分35秒
  蜘蛛の糸の後に どなたの作品ですか、お釈迦さまが
阿弥陀さまの救いをご存じないのはおかしいと思っていましたが、
あれは無量寿経を説かれる前のお話なのですね。
すべての人を救いたいという教えを、その後に説かれたのですね。

 

朗読法話

 投稿者:kannrininn  投稿日:2017年 8月24日(木)14時31分5秒
  葬儀の後で、葬祭場の司会者が延々と話すのを聞いていましたが、
世間の価値観でのお話ばかり、葬祭場としては、読経だけでは
物足りないとの思いがあるのだろうと思いました。

それならば、いっそ自分で、ご遺族に語りかけようと、もう
十年以上続けています。
ご遺族には、この後、再々お話の機会がありますが、
葬儀だけ参列の方から、評価の言葉をいただくことがあります。
是非、実行していただきたいと思います。
一般参列者への良いご縁となると思います。
 

お葬式の席で

 投稿者:yamada  投稿日:2017年 8月24日(木)14時23分59秒
  最初の表白で葬儀の意義は、明らかにしますが、最後に朗読法話は、有り難く
思えます。ご本山から出版されているものに加えてとのことですが、
分かりやすく、当方でも使わせていただきたいと思います。
 

なもあみだぶつ

 投稿者:miyamoto  投稿日:2017年 7月26日(水)17時11分7秒
  和歌や俳句など、読み込むということがあるようですが、
「なもあみだぶつ」を 読み込むとは 面白い発想ですね。
有り難く 拝見しました。
次の作を期待しています。
 

大きな声で

 投稿者:kanrininn  投稿日:2017年 6月20日(火)17時26分32秒
  僧侶の場合は、周りが念仏しなくても、大きな声で、南無阿弥陀仏と口にできますが、
参列者で、念仏しても周りが静かだと、つい声も小さくなってくるものだろうと思います。
でも、誰かがお念仏の声を続けていくと、みんな声を出しやすくなるものです。
私がお念仏するのではなく、阿弥陀さまが私を通してはたらいておられると
味わい、どうぞ遠慮無く、お念仏をお聞かせください。
 

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