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GTとオブジェクト指向

 投稿者:eclipse  投稿日:2014年 1月18日(土)15時27分55秒
  知り合いの栄養士がたまたまグランデッド理論をつかって、PWS(プラダウィリー症候群)での調査を行ってるのにつられて、私も少しGTについて調べています。(数学が専門で普段は統計の面倒を見ているのですが。) そのなかで思ってることなのですが、何分門外漢なので外していたらすいません。

コービンの質的研究の基礎 3版(まだ全部読みきれてない) や いろいろWebの情報を見る中で思うのですが、Java などで出てくるソフトを作るための、SEさんが顧客のニーズを聞いてつくる、モデリングと非常に似ていると思いました。

コード化のあたりは、オブジェクトにどんなものがあるか? 概念が、オブジェクトで  カテゴリーがクラス  サブカテゴリー云々がクラスのスーパークラスや派生クラスに当たります。(一応 Javaでのモデリングの入門のサイトhttp://www.itmedia.co.jp/im/articles/0302/18/news001.html です)

繰り替えして言ってみると、汎化はクラスを作るという作業にあたり、これがまあ、カテゴリー化だと思います。 それから、モデリングでまず最初にしないといけないのが、データにどういうものがあるかです。これがコード化です。データとなるオブジェクト、MVCパターンでいうところのモデルのMをきちんと作ること、クラスのスーパークラスや派生クラスといったことがサブカテゴリーに当たります。(MVCパターンというのは データ(Model)と表示(View)と ロジック(Control)を記述する際、それぞれ独立に書く方が、変更などメンテナンスしやすいという方法論です)
こういう対応をつけてしまいますと、グラウンデッド理論で、いろいろ説明している部分がオブジェクト指向の言葉にきっちりハマるように思います。
この対応で見えてくる大事なことは、コード化する際に動詞もコード化することです、これが動詞が何を変えているか、あるいは、動詞がどこに作用しているか?をきちんと導くこと。
オブジェクト指向では、データとそれを変えるメソッドはひっついています。
つまり、データのオブジェクトないしはクラスはメソッドを所有しています。と同時に行いを行うクラス、つなり行為者のクラスもオブジェクトとして存在します。これがグラウンデッド理論ではアクシャル・コーディングに当たるように思えます。
プログラミングの考え方に、同じことは書かないというのがあります、類似する作業は、一つにまとめる、ある意味、パラメータを変えるだけで振る舞いが変わるそういう方向性を常に考えます。この部分も似ています。
逆に言うとちゃんと動くプログラムが出きることは、その因果関係に一つのモデルを打ち立てたことになるように思います。メソッド自体の実装は、理論を与えることになって、それのシミュレーションを作るような感じ。。。
あと、アンケート等から作るってことは、必ず人というクラスがあると思います。人によって違うし、置かれている環境によっても違う、それらを人のクラスの中に入れるか、外に置くか?人のクラスの性質って?、とするとおのずと外のわくって、案外決まるのでは? ボトムアップだけだとなんかしどそうで、確かにキーワードはテキストマイニングで拾えるけどトップダウンとして、ある程度、上述の枠組みがでてくるような。何かの条件の時というのは、そういうj状態に、人というオブジェクトがいるというときの現象。だからそういう大きな枠組みはある程度作られている。

人のオブジェクトがいっぱいあって、それがある状態で調べる性質がどうなるか? それが調べる性質を導くメソッドの実装とその実装が正しければ、改善する方向性が見えてくるといった感じでしょうでしょうか?(もちろん他のメソッドもいろいろ実装しないといけないと思うけど)

とりとめなくなってしまいましたが、あまりそういうことを書いてるサイトが見当たらなかったので、書いてみました。モデリングのためにGTを使うという記事は少し見かけました。

http://blog.goo.ne.jp/eclipse2ant

 
 

回答

 投稿者:管理者  投稿日:2013年10月 3日(木)08時08分49秒
  お問い合わせをいただいた方へ

「質的研究を指導できる先生を紹介して欲しい」とお問い合わせいただいた方へ。
そちらの連絡先がわかりませんのでこちらに回答します。

現在、量的研究者である指導教官のもとで質的研究を進めているとのこと。
さぞかし大変だろうと思います(お察し申し上げます)。なにせ
量的研究と質的研究とはまったく相容れない概念をもっていますから。

できれば実際に質的研究をやったことのある先生に見ていただくのがいいと
思いますが、それとてその研究者によって質的研究の方向性も違うので
「指導」というよりは「研究としての妥当性」を高めるためのアドバイスを
受ける、といった位置づけで考えるべきでしょう。
大學で研究を続けている先生方もお忙しいので、なんでもかんでも相談する
わけにはいかないでしょうから、まずは質的研究を何本か論文化している
先生に連絡してみてはいかがですか。

私も質的研究をはじめたころは、とある有名な先生に連絡してみましたが、
「指導してやるけど指導料をよこせ」と冗談とも本気ともとれるお返事を
いただきあっけにとられ、これを機会に自分でやるしかないと決意したこと
を思い出します。
 

デルファイ法

 投稿者:デルファイ知りたいメール  投稿日:2011年 2月 9日(水)16時39分13秒
  管理人先生

デルファイ法を使って、研究をしてみたいと思っているものです。
デルファイ法についての教科書のような本はあるのでしょうか。

論文などを読むと、修正デルファイのようなものがありますが、
どこまで修正してよいかなど、書いてあるものがあれば教えてください。
 

グラウンデッド・セオリーについて

 投稿者:管理人  投稿日:2010年10月23日(土)13時17分36秒
  「ポーラス」さん

ご質問をありがとうございました。

「グラウンデッド・セオリー(以下、GTと略します)については、先日もちょっと書いたようにいろいろな誤解があります。書けば長くなるんですが、できるだけ要点を述べます。

「GT」についても、質的研究における「理論」と同様に使われ方が混同されているために理解しにくくなっているように思います。つまり、質的研究における研究成果として見いだされた「GT」というものと、質的研究の分析手法のひとつとしての「GT」というものがあるのです。ですから、「ポーラス」さんが「GTの実施方法を教えて欲しい」とおっしゃっているところをみると、「ポーラス」さんのいう「GT」とは後者、すなわち分析手法としての「GT」なのでしょう。

さて、混同しないように分析方法としての「GT」を「GTアプローチ」と改めて呼び事にしましょう。そうして言い直すと、次のようになります。

「GTアプローチとはGTを導くためのプロセスである」

つまり、研究成果としてのGTを導く方法論がGTアプローチと言うことです。ならば、GTとは何か。これはもともと、グレイザーとストラウスの共著でもある古典的な本「データ対話型理論の発見」にさかのぼる必要があります。実はこの「データ対話型理論」のことをグラウンデッド・セオリー、つまり、データの中から立ち現れた理論というのです。言い換えれば、生データに埋もれた地べたをはい回るようにして見いだした理論ということです。

このようなGTを見いだすために「理論的サンプリング」や「絶えざる比較法」という方法論を使って、合理的かつ理性的に理論を見いだす方法論を「GTアプローチ」といいます。「理論的サンプリング」や「絶えざる比較法」についてはご自分で調べていただくとして、こうした方法によってひとつの情報源からの生データをカテゴリー化し、そこに次の情報源からの生データを重ねていく。その作業を繰り返すことでGTが見いださせるというものが「GTアプローチ」です。

ただし、誤解してはならないのは、しばしば「理論的サンプリング」にすら依らない少数の情報源を「GTアプローチで分析した」と説明する論文があります。これまでの説明でおわかりのように、その内容を理解していればそのようなことはありえないことがわかると思います。また、単一の情報源から得られた生データを分析する際に「絶えざる比較法によって」などと記載している論文もありますが、これも間違いであることがおわかりだと思います。つまり、GTあるいはGTアプローチは「理論的飽和」をめざすものだ、ということです。理論的飽和を目指してもいない研究に「GT」などはあり得ないのです。

しかし、もう少し突っ込んだ言い方をすると、「GTアプローチ」にこだわる必要はまったくない、という点も重要です。なぜなら、グレイザーとストラウスが主張した「GTアプローチ」なる方法論にもし仮に忠実に従ったとしても、その研究の妥当性が保障される訳ではないからです。質的研究は方法論的な自由度が高い研究方法です。質的研究としての矛盾がなければどのような方法論でも認められます。質的研究が、相対主義という立場から発展してきたゆえんでもあります。

ひとえに、研究成果を第三者に疑義をもたれない、第三者を納得させられる研究をどう実現するかにかかっているのです。還元すれば、そのような誠意をどう研究に盛り込めるかにかかっているともいえます。「GTアプローチ」にこだわるばかりに、質的研究として矛盾や齟齬ばかりになっている研究を見かけますが、そのような本末転倒なことにならないよう十分注意しなければなりません。

ということで、GTのことを勉強する際には、質的研究の性質をかいま見るためと割り切っておくべきです。なんとかGTアプローチをマスターして質的研究を、などと考えない方がいいとすら思っています。なぜなら、質的研究の科学性や妥当性を担保するGTアプローチなどこの世には存在しないからです。
 

実施方法を教えてほしい

 投稿者:ポーラス  投稿日:2010年10月22日(金)21時03分20秒
  グランデッドセオリーを質的研究でどのように実施するのかがわかりません。
実施方法を詳しく解説してほしいです。
 

ありがとうございます。

 投稿者:管理人  投稿日:2010年10月21日(木)10時02分27秒
  「ポーラス」さん

ご質問をありがとうございました。

グラウンデッド・セオリーについて解説を、とのこと。いろいろお話ししたいことはたくさんあるので、どの部分にご関心があるのか、疑問があるのかについて教えてください。
グラウンデッド・セオリーに関しては、よく知られている名前ではあっても、非常に誤解されている言葉でもあります。

よろしくお願いいたします。
 

はじめまして。

 投稿者:ポーラス  投稿日:2010年10月20日(水)17時55分23秒
  はじめまして。
質的研究はしたことがありませんが興味をもっている大学2回生です。
管理人さまのグランデッドセオリーの解説をもっと詳しくしりたいです。
 

(無題)

 投稿者:みるみるメール  投稿日:2010年10月20日(水)08時32分53秒
  回答ありがとうございました。
指導者に聞いてみます。(指導者を信じて。。)
 

(無題)

 投稿者:管理人  投稿日:2010年10月20日(水)07時25分39秒
  「みるみる」さん

ご投稿、ありがとうございました。

文面を見る限り、質的研究は初めてのようですが、そのようなときは指導者についておやりになった方がいいと思います。
質的研究は決して難しくはありませんが、決して易しくもありません。質的調査そのものをきちんとデザインしてからはじめないと、ともするととてもチープな研究になってしまいます。
チープというだけでも問題なのに、まったくトンチンカンな調査と言うことになればなおさら価値をおとしめることにもなります。
ですから、まず自分なりに質的研究のことをあたまの中で整理した上で、質的研究として指導してもらえる先生に自分がやろうとしている調査の具体的内容を相談してください。

「グラウンデッド・セオリー(GT)アプローチ」という言葉は有名ですが、間違って理解されていることが多いように思います。「GT」とは質的データーの中から「立ち現れた理論」といったニュアンスのものですが、「理論的サンプリング」と「絶えざる比較」による産物です。つまりは、ひとつのデータソースを分析するアプローチではないので注意が必要です。

まずは指導者を、というのが一番のアドバイスでしょうか。
 

事例研究について教えてください。

 投稿者:みるみるメール  投稿日:2010年10月20日(水)00時22分48秒
  はじめまして。
看護師です。
今年、対象者1名で事例研究をすることになりました。
私のテーマは、簡単に言うと、「○○したことにより、不安が軽減したか?」という感じです。不安が軽減したかを表すの難しく、それをまとめるときに、質的研究をしたことがなかったので、いろいろな本を読みましたが、よくわからなくなりまして、ご質問させていただきたいと思いました。

質問内容は
1、対象者が1名なので、その人に援助をした前後の言動を聞き、不安の軽減ができたかどうかということになるのですが、それを分析する方法はこのサイトにあるような方法グランデッドセオリーを使用するのですか?

2、対象者が数人いる場合は、論文にまとめる時、「結果」で、コードカテゴリ化したものを書きますが、対象者が1人の場合は、「結果」は患者の言動や看護師がした行為や観察になり、「考察」で一般化した物に(先行文献や参考資料での理論を用いて)表すという形になるのでしょうか?

3、素敵な論文を書きたいので、なんでもいいのでアドバイスをもらえたらうれしです。何かおすすめの参考資料とか、あればうれしいです。

質問がわかりにくかったらすみません。 よろしくお願いします。
 

参考書について

 投稿者:管理人  投稿日:2010年10月16日(土)07時53分50秒
  「tanaka」さんへ

>M.フーコーの理論は、「理論・概念主導法」において、最初に参考とするビックセオリーの例のひとつ

なるほど。それならわかります。M.フーコーは「言説」という概念で社会の中の権力なるものを考察しました。これはニーチェが倫理や道徳を考察するのに「ルサンチマン」という概念を使ったのと同様、こうした先哲の思索をひとつの土台としてあらたな枠組みを質的研究で見いだしていくということなら「理論・概念主導法」というものと結びつきますね。

質的研究には常に「主観と客観」の問題がつきまといます。この問題は私なりに整理すると、
(1)主観は客観を認識できるか
(2)そもそも客観などあるのか(客観を認識する主観は必要か)
となります。
この(1)の問題(これを「ヘーゲル主義」といいます)こそ哲学で言う「認識論」であり、(2)の問題は社会思想での問いかけです。こうした背景が質的研究にあるからこそ、学んでいく中でいろいろな哲学者や社会思想家の名前が飛び交うのです。

しかし、質的研究を行っていく上でそれらの知識が不可欠かといえば必ずしもそうではありません。質的研究の特徴を哲学や社会思想から眺めるという意味では大切ですが、ともすると質的研究の方法論と混同している人達がいます。質的研究はしっかりデザインしないと容易に「浅い研究」になってしまいます。それを誤魔化すためにごちゃごちゃと哲学用語を並べ立てている研究すらあります。しかし、大切なのは「いかにしてエビデンス足りうる研究成果を生み出すか」なのですから、質的研究の方法論をしっかりしたものにするために自分なりの創意工夫が出来るようにする。そのための哲学・社会思想史なのだということを認識しておくべきでしょう。

さて、参考書ですが・・・。
すでにお持ちかも知れませんが、下記の三冊がいいと思います。

 1.Qualitative research for nurses (I.Hollway & S.Wheeler, Blackwell Science)
  2.Qualitative research & Evaluation Methods(M.Q.Patton,SAGE)
  3.Basic concepts for Qualitative research(I.Holloway,Blackwell Sciene)

いずれも最新版があるかどうかはわかりませんので調べてください。ただし、1.には日本語訳が出ていると思います。これは結構参考になります。2.は質的研究を本格的に勉強したいという事であればどうぞ。英語も平易ですし、挿絵もわかりやくてお勧めです。それから、3.は用語辞典です。質的研究にはいろいろわからない用語が出てきますので有用です。かつて米国のある先生とこの本の日本語版を、と考えたことがありましたが、私が大学を辞めることになりその話しも消えてしまったといういわく付きの本です。
 

本当にありがとうございました

 投稿者:tanaka  投稿日:2010年10月16日(土)00時41分20秒
  毎回、丁寧な解説をありがとうございます。
今日は質的研究についての授業日だったのですが、M.フーコーの理論は、「理論・概念主導法」において、最初に参考とするビックセオリーの例のひとつだ、と学びました。前々回の先生の解説での「理論や概念をもとに研究をデザインすること」で使用する「理論」の例のひとつであることがわかりました。よくよく理解していなかったため、的外れな質問をしてしまったこと、本当にすいませんでした。

私達が授業で使用している教科書は、キャロル・ガービッチ著/上田礼子訳の「保健医療職のための質的研究入門」という書籍です。先生がおっしゃっていた通り、海外の文献の日本語訳のようです。
またその教科書に書いてある「理論概念主導法」を、私なりにまとめると、
「理論・概念」を決定したのちに調査・研究をし、その結果を最初に立てた理論と比較する、演繹法的なアプローチ方法=理論・概念主導型である
ということになります。
後の説明は、概ね先生の「仮説検証型」の説明と同じでした。

レポートの文献の件については、先生と同じことを今日教授にも教わりました。やはり書籍の文献を使うことは重要なんですね。これからの学習のためにも、質的研究法について比較的わかりやすい解説がされている文献を購入することを考えているのですが…何かオススメの文献などがありましたら、よろしければ教えていただけないでしょうか?
 

第2問について

 投稿者:管理人  投稿日:2010年10月14日(木)13時29分19秒
  「tanaka」さんへ

フーコーとはミシェール・フーコーのことだと思いますが、彼は「ポスト構造主義」という現代思想史のひとつの潮流を代表する思想家のひとりです。なぜ、現代思想史などという分野の話しが出るかというと、質的研究が発展してきた背景が影響しています。そして、その現代思想史そのものがフッサールやヘーゲルといった哲学をその源流にもち、結果として質的研究の方法論には「主観と客観」という問題が常につきまといます。

さて、それではM.フーコーのどのような点が「理論・概念主導型」と結びつくのか。正直に言って私にはわかりません。わかりませんし、どのように結びついたかがわかったとしてもそれほど意味があるとは思えません。なぜならフーコーが質的研究の方法論を築いたわけではないからです。確かに、質的研究のひとつの側面を理解する役には立つかもしれませんが、質的研究を実際におこなうということに関しては何も役立たないと思います。むしろ、混乱することにもなりかねないでしょうね。

もし良かったら、わかる範囲でいいので、その「理論・概念主導型」というタームを使っている文献に書いてある説明内容を大まかでいいので教えてもらえませんか。なんとなく海外の書籍を和訳したタームのようですが、もしそうなら英文のままでも結構です。私個人としては、少なくとも仮説検証型とフーコーの概念(「フーコーの理論」とはなんでしょうか?)が結びつくようには到底思えないのですが。

大学の授業での引用は、きちんと論文化あるいは書籍化された正式のものを使わなければなりません。今後、「tanaka」さんも論文を書くようになるでしょうが、参考文献として学会発表の抄録を提示したり、HPの記述を引用するのは極力避けた方がいいです。ですから、私の見解を紹介してくださるのでしたら、私のこれまでの論文を参考文献としてください。まとまっているのは、「保健の科学 2005年5月号(vol.47)P.353-360)」なのでまずはこちらを読んでみてください。
 

ありがとうございます!!

 投稿者:tanaka  投稿日:2010年10月14日(木)02時43分56秒
  丁寧な解説、本当にありがとうございました!!
こんなに早くお返事がいただけるとは思ってもいなかったので、本当にうれしかったです!
主導型についての説明はもちろんのこと、なぜ質的研究に関する文献などを調べても、「主導型」や「生成型」などというワードはなかなか出てこなかったのかも、今回の解説で納得できました。
もうひとつ質問をしてもよろしいでしょうか。
授業で使っている教科書には、「理論・概念主導型(仮説検証型)」と、フーコーの理論は、とても関係深いものだとの記述がされてあったのですが、私は、一体どこが関連しているのかがわかりませんでした。それについて、先生のご意見を聞かせていただけたら嬉しいのですが…。何度も質問してしまい、本当にすいません。
また、授業の一環で、今度質的研究についてのプレゼンテーションをしなければならないのですが、配布資料に、今回の解説を一部引用してもよろしいでしょうか?引用元として、このHPのURLと先生のお名前も記載したいのですが…。
 

(無題)

 投稿者:管理人  投稿日:2010年10月12日(火)07時48分18秒
  「tanaka」さんへ

ご質問をありがとうございました。久々(実に2年ぶりでホコリがかぶってますが)の投稿をうれしく思います。
「正解」ということではなく、「私の見解」であることを前提にちょっと書きます。

まず、「tanaka」さんのおっしゃっている「理論・概念主導型」あるいは「理論・概念生成型」という言葉はあまり一般的なものではなく、どなたかその言葉を提唱している先生の作った造語なんだと思います。ですから、その単語の正確な意味がわからないので、違っていそうならばご指摘下さい。

質的研究が理解しにくいのは、その「理論」という言葉にあります。というのは、質的研究に登場する「理論」には、質的研究の方法論において登場する「理論」と、質的研究による研究成果において登場する「理論」があるからです。

質的研究をおこなう際に、「こうしなければならない」あるいは「こうすれば信頼性や妥当性が担保される」というような方法論はありません。それは量的研究における数理統計学的理論といったものがないからです。ですから、質的研究の論文に良く出てくる「グラウンデッド・セオリー(GT)アプローチに基づいて」などというフレーズはほとんど意味を持たず、その研究がしっかり妥当性や信頼性を考慮して設計されているかということのみが重要なのです。それらが論文にきちんと提示されずに「GTアプローチに基づいて」などというフレーズで誤魔化している論文をしばしば見かけますが、あれはどう考えてもいけません。

一方、誤解を恐れずに言えば、質的研究は「理論」を見いだすためにおこないます。人間の言葉や行動様式を質的データに還元することを通じて、そこに通底している何らかの「理論」を見いだすことこそ質的研究の目的です。その「理論」こそ「グラウンデッド・セオリー」です。しかし、先ほども言ったように、質的研究には信頼性や妥当性を担保できる「(方法論における)理論」というものが存在しないため、いわゆる理論的サンプリングや「絶えざる比較」をおこなったり、peer discussionやmethodological triangurationを行うわけです。こうした工夫や努力を通じて、質的研究から見いだされた「理論」の理論性を主張するのです。

さて、ご質問の「理論・概念主導型」と「理論・概念生成型」についてですが、想像するに、前者はこれまでの理論や概念をもとに研究をデザインすることであり、後者はこれまでの研究成果はいったん保留にして、まったくあらたな理論や概念を生成するために研究をデザインすることではないかと思います。質的研究はよく「あらかじめ先入観を排しておこなう」と説明されることがあります。しかし、この意味は、なんらかの研究をはじめようとするとき、あらゆるリサーチクエッションと無縁だ、ということを意味するわけではありません。研究によっては「仮説検証型」であってもいいわけです。あくまでも、「研究の分析、考察に先入観が影響してはいけない」ということなのです。ですから、私が提唱している分類でいいかえれば、前者は「仮説検証型」であり、後者は「仮説生成型」ということになるのではないかと思います。

こんな意見でご理解できたでしょうか。わからない点やご意見があればご指摘下さい。
質的研究をもっと深めて、是非、ご自分でもやってみてください。
 

理論・概念主導型について

 投稿者:tanaka  投稿日:2010年10月11日(月)00時51分2秒
  はじめまして、田中と申します。現在大学1年生で、授業で質的研究法について学んでいます。先日、理論・概念主導型と理論・概念生成型のアプローチ方法について勉強したのですが、講義を受けても主導型の理論や、生成型とどこが違うのかなどがわかりませんでした。もしよろしければ、教えていただけないでしょうか?  

質的研究がおちいりやすい過ち

 投稿者:管理人  投稿日:2009年 8月14日(金)08時52分29秒
  本当に久々の投稿なのですが、とても重要な出来事があったので少しお話しします。

これはあまり知られていないことですが、今、とあるNHKの番組に関してちょっとした論争が起きています。それは「NHKスペシャル JAPANデビュー」という番組の第1回放送「アジアの“一等国”(http://www.nhk.or.jp/japan/program/prg_090405_2.html)」に関するものです。おもな争点は次の通りです。

番組では、日本が「アジアの“一等国”」になった過程において、台湾の人々に「日本人化」を強制するとともに、台湾の先住民を国際博覧会に“展示”するなどして日本の優位性を世界に誇示するなどの行為があった、としています。
しかし、番組で証言した台湾の人々が「自分たちが伝えたかったことを歪曲して放送された」として抗議しているものです。具体的には、少なからず不幸なことはあったにせよ、日本が台湾の治安を守り、教育を含む社会的インフラを整備してくれたことを感謝している、といった、本来彼らが伝えたかったことに一切触れられず、語った言葉を利用して「台湾を侵略し、台湾の人々の日本人化を進めていった」という番組の主張に利用したと抗議しているわけです。
こうした番組作りはなにも今に始まったことではないので驚きもしないのですが、ここには質的研究が同じように陥りやすいピットホールが潜んでいるように思え、とても興味をもちました。

まずは、インタビューの難しさです。意図的に、あるいは恣意的にインタビューデータを利用するのは質的研究ではある意味で御法度です。もちろん番組の制作と言うことになればそれはインタビューを受けた人との信頼関係を壊さず、法的問題が生じない限りこれが認められるのかもしれません。しかし、質的研究となるとそうはいかないのです。
ですが、意図的でなくとも、恣意的でなくとも、無意識のうちに研究者の主義・主張にそった解釈がなされ、結果として先ほどのNHKの番組と同じような問題が生じることがあります。こうしたトラブルの際に重要になるのが研究者の主観の問題です。その研究における研究者の主観の位置づけは十分考えておかなければなりません。つまり、客観性を求められるマクロの研究であれば研究者の主観は結果の解釈においては極力排除する努力が求められるでしょうし、研究者の主観を通じて解釈するミクロの研究であるなら研究者自身の主観も解釈・考察の対象になるでしょうから、主観の位置づけはきちんとしておかなければなりません。

今回のNHKの番組に関する問題は別にもあります。それは、日本が国際博覧会に台湾の先住民を“展示”したことに関するものです(http://www.nhk.or.jp/japan/asia/090617.html)。番組ではこれを「人間動物園」という言葉を使って解説しています。つまり、当時の日本は台湾の先住民達を動物扱いする野蛮で傲慢な国だったというわけです。しかし、台湾に人々は、「当時、自分たちの祖先は、日本にそのような動物のような扱いは受けておらず、単なる楽しい海外旅行だと感じていた」としています。ここには、当時のヨーロッパの人類学の視点で見るか、それとも台湾の先住民の目で見るかという視点の違いが重要になってきます。台湾の先住民がどう感じていようが、それを見る西洋の人達がまるで珍しいアジアの動物が展示されているようにとらえていれば「人間動物園」と表現してもいい、という考え方。逆に、ヨーロッパの人々がどのように見たにせよ、“展示”されたとする台湾の人達がそうとらえていなければ「人間動物園」という表現は当たらない、とする考え方。これらは調査者の視点の重要性を示唆していると思います。

これらの問題については、取材を受けた人達へのインタビューを交えて詳しく検証している番組もあるのでネットで検索してみてはどうでしょうか。いずれにせよ、インタビューやその解釈の問題は質的研究とも密接な関係があるのでちょっと書いてみました。
 

私から質問させて下さい

 投稿者:管理人  投稿日:2008年10月24日(金)16時53分44秒
  「チャリー」さん

ご質問をありがとうございました。

私の方からお答えするよりも、「チャリー」さんご自身がそのことについてどう思っておられるのか
に興味があります。質的研究の教科書を読めば必ず書いてあることがらではありますが、現在の
あなたにとって「利点と問題点」をどう考えるか。お聞かせいただけませんでしょうか。
 

はじめまして!

 投稿者:チャリー  投稿日:2008年10月24日(金)12時46分0秒
  こんにちは。
社会福祉を専攻している大学生です!
質問なんですが、質的研究法が持つ特徴で、主な利点と問題点を教えていただけませんでしょうか。
 

私見ではありますが・・・。

 投稿者:tsuyama  投稿日:2008年10月15日(水)15時54分21秒
  僕自身、世の中の風潮が論理実証主義的な考え方こそ絶対的であるみたいな考えに偏るのは、本当に研究というものが面白みがないなと感じていました。客観的にはそう言われているが、主観的には違う気がするとか、こうなんじゃないんかなと感じていることは多くあると思います。しかし、それが単なる主観であるとか、恣意的ととらえられ、みすみす見逃してしまうのは非常にもったいないことであり、その人にしか感じ得ないような、気づいたことを捨ててしまうことになりかねないと思います。

僕は臨床心理分野なのですが、特に医学とは視点の異なる心理では非常に重要なことだと思います。
しかし、それが本当にそうなのか、やはり単なる主観で、ごく一部にしか適用しえないものであるのかということになってしまいかねないリスクは非常に大きいと思います。そこは量的研究のほうが利便性は高いとも思います。

しかし、意味の連続として、動きのある知見を得られるといった点においては量的には勝るとも劣らないとおもいます。それをいかに科学的に提示していくかといった正当性の主張は難しいですが、意義のあるものは提示できると思っています。
そのためにも、独りよがりの研究にならないよう、議論は重要だと僕も思います。

非常に先生のご意見をいただきまして心強いです。質的研究にも意欲がわきました。形にしていけるよう頑張ります。ありがとうございます。
 

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